House of Numbers (Brett Leung監督)
若いカナダ人の監督になるこのドキュメンタリ映画のテーマはHIV/AIDSです。テーマの重要性と映画の出来から言って、この映画はアカデミー賞のよう な最高の栄誉に値すると思いますが、ノミネートもされていないところを見ると、ハリウッドがどういう場所なのかということを逆に教えてくれています。この 映画の存在は公開当初から知っており、気になっていたのですが、最近全編をネットで閲覧することができました。私にとってはこのドキュメンタリの内容は目新しいものではありません。Stephen Allen の HIV=AIDS:Fact or Fraud や Gary Null のいくつかの映画、その他にも多数のテレビ番組、映画のクリップがネットで閲覧できます。この映画が抜きん出ているのは、HIVがAIDSを引き起こすと 主張するドグマの側の人達もインタビューしている点です。反ドグマ側の議論ばかりを開陳するのではなく、ドグマ側の人間がどの程度の確信を持って定説を信 じているのかがカメラレンズを通してよくわかるようになっています。
HIVとAIDSという問題は、私にとって他人ごとではありません。私は、80年代のほとんどを日本の外で過ごしました。主に、米国のオレゴン州、イン ディアナ州、そして80年代の後半を過ごしたニューヨークです。80年代の前半のひと夏ニューヨークのローワーイーストサイドのアパートを間借りしていた 時のことです。隣に、中西部からとても美しくて魅力的な女性が引っ越してきました。たまたま暇だったので彼女の引越しを手伝いました。ローワーイースト全 域が麻薬中毒者の巣窟となっていて一帯が戦場のようでしたから、女の人が一人であそこに住むというのは勇気のいることだったと思います。それ以降一度も 会っていませんが、人づてに彼女の成功や死について知りました。成功してそれなりに知られるようになった人なのでここで経歴などを明かすことは控えます。 彼女の死について教えてくれた人は、Village Voice の訃報欄で知ったと言っていました。彼は、80年代を通じて彼女と何回か会う機会があり、彼女にバイセクシュアルの恋人がいたことや、AIDSで死んだの はその恋人から感染したのだろうことなど教えてくれました。その時は彼の説明を信じました。個人的に知っている人がAIDSで死んだというのは、私にとっ てはこの人だけですが、友人の友人、知り合いの知り合いでは他にもいます。これは80年代をニューヨークで過ごした人にとっては、特別でもなんでもなく普 通のことです。ゲイであれば友人知人が毎月死んでいくという時代でした。
今では彼女がAIDSで死んだとは思っていません。彼女は、AZTによって殺された、あれは薬害だったと確信しています。
私がその確信に至った経緯については、ここでは書きません。House of Numbers を見てください。見れば明白です。英語だからわからないのであれば、英語を勉強してください。Youtubeで Karri Stokely の証言を聞くのもいいでしょう。彼女もAZTと「カクテル」治療で殺されかけました。
良いappititeは抑制ものである
定説ではRobert GalloがHIVウィルスを分離培養したことになっています。ほんとにそうなのかどうか疑問を持った監督のBrett Leung は高名な専門家二人に、あなただったらどのようにして分離培養しますか?と素朴な質問を投げかけます。その内の一人は、ノーベル医学賞受賞者なのですが、 「俺にそんなこと聞くなよ。教科書に書いてあるだろ。俺はあんたの教科書じゃない。そこまで暇じゃないんだ。」と答えますが、視線が定まらず明らかに心理 的に動揺しているのが見て取れます。一方、もう一人の、イギリス英語をしゃべる人は、「どういう意図でそんな質問するの」と、開き直っています。このシー ンは映画の最後の方に出てくるのですが、ここまで見てきた観衆は、ノーベル賞受賞者だろうがなんだろうが、この人達終わってるね、という感想を持たざるを 得ません。
この映画は、HIVウィウルスを発見したことで2008年にノーベル賞を受賞した、Luc Montagnier のことばで終わります。曰く、「ちゃんとした免疫力を持った人なら、HIVに感染しても数日数週間で体から追いだしてしまう。アフリカでは水、栄養、衛生が重 要。それで普通の免疫力がつけられる。俺の言ってることは、Anthony Fauci が言っていることとだいぶ違うだろ。」(Anthony FauciはホワイトハウスのAIDS政策の中心人物だった人です。今でもドグマの中心人物の一人です)。Luc Montagnier がここまで言っているのに、なぜ、世界中で信頼性がきわめて低いHIVテストが実施され続けているのでしょうか。世界の貧しい地域では、抗体テスト (rapid test; elisa test) すらなく、問診だけでAIDS診断されてしまうのです!
この映画を見てHIV=AIDS説に根本的な疑義を持たない人は、何というか、論理的思考が出来ない人と言うしかありません。ここまで明々白々ですから、 長くても5年以内に、このドグマがルイセンコ、脚気、壊血病などを上回る科学スキャンダルとして世に知られるところとなってほしいと思います。そうでなけ れば、人類史はお先真っ暗です。上に書いた私の知人を殺したのは誰なのか、責任追及もやってもらいたいものです。責任追及をやりはじめると収拾がつかない ということなら、南アフリカでやったような、真理和解委員会方式で真相究明をやる必要があるでしょう。
アームが壊れているかどうかを確認する方法
個人的には、HIV/AIDSスキャンダルを理解することによって、医療業界全体についての本質的な理解が得られたと思っています。私自身は基本的に健康 で体を動かすのが好きで、今までに大病をしたことがありません。にもかかわらず、医療機関との付き合いでは、嫌な思いをさせられたことが何度かあります。 例えば、別に親知らずを抜くために来たのではないのに、説明もせずにいきなり親知らずを抜いてしまう歯科医。また、対症療法の一環として処方された精神安 定剤を飲むのをやめたときに、体験した不眠症など。自分の処方している薬の化学的組成を理解しているのか?患者のことより、儲けのこと考えてるんじゃない のか?など様々な疑問が涌いてきました。ですから、もともと医療業界については根深い不信感を持っていましたが、そのような実体験と、 このHIV/AIDSスキャンダルを総合的に考察すると、やはり、金が全てなんだなという結論に辿り着かざるを得ません。医者のひとりひとりは、患者の健 康を 願って最大限の努力を惜しまない人も多いのでしょうが、医療システム自体が、薬を売り、ワクチンを売り、手術をして手数料を稼ぐ、商売に成り下がっていま す。ビタミンやミネラルや食物に含有する諸物質に「薬」としての効能があっても、自然に存在しない人為的な化学物質である「薬」を使わなければならないビ ジネスモデルが出来上がっているのです。医療サービスの「消費者」である我々は、医療業界がそのようなビジネスであることをよく理解して、騙されないよう にするしかありません。政府が我々市民の味方ではなく、業界の味方であることも理解する必要があるでしょう。それは消費者庁と厚生労働省の「格」の違いに 現れていることかもしれません。
イヌの白血球数は何を意味するのか?
HIV/AIDSスキャンダルを理解する前は、癌治療やワクチンについて、優れた医者を探してその医者の言うことを聞いておればいいんだろうと漠然と考え ていましたが、今は違います。癌業界の広告塔になっている、ランス・アームストロングに対しても疑問を持つようになりました。ワクチンに関しては、世界的 規模で、接種拒否運動が起きています。癌に関しては、私は、両親を癌でなくしていますが、自分が癌になりやすい遺伝子を持っているなどとは全く考えていま せん。食生活や生活習慣で癌を予防できると考えています。何でもかんでも、遺伝子が支配しているという考え方は、我々を無力にさせ、薬漬けにさせようとす る魂胆なのだと考えるしかありません。分子レベルで生化学に介入する薬の開発が、生命のメカニズムの究明に役立っていることは否定しませんが、治療に役 立っているとは言えないでしょう。治療に結びつかない薬を長期投与することが体に毒であることは明白です。しかし、それは医療ビジネスの利益にかなってい ます。エイズ診断を受けた患者には20年近く薬を飲み続けている人もいます。全く治療になっていませんが、製薬会社は儲かっていま す。医療を受ける我々はいい加減にこの歴然とした事実に目覚めるべきでしょう。「副作用」なんてことば自体が欺瞞です。「副」ではなくて「主」と言うべき でしょう。という訳で仮に将来癌診断が出ることがあっても伝統的ながん治療である手術や薬や放射線治療を受ける気はありません。
大学で教えているので、医学部の学生が優秀なことは認めざるを得ません。日本だけではなく世界的にも医者になる学生が、成績優秀であるのは、周知の事実で す。しかし、この映画に出てくる Anthony Fauci を見ると、教科書を疑問を持たずに鵜呑みにしているだけの秀才にすぎなくて、知的好奇心も薄く、論理思考力も弱く、想像力も足りない単なるアホなのではな いかと勘ぐらざるを得ません。そういう秀才アホだからこそ、自分が間違っていても長年慣れ親しんだ思考回路を捨て去ることができないのでしょう。この映画 に出てくるサンデー・タイムズの記者は、科学者達が自分の非を心の中では理解していると好意的な解釈をしていますが、Robert GalloやAnthony Fauciが本当に分っているのか少々疑問です。彼らは、そこまで頭が良くないのではないでしょうか。道徳的・倫理的に問題があるのは勿論ですが、それ以 前に、論理的思考力 に問題がある気がします。論理的思考が出来ないからこそ、HIV検査で陰性なのに、AIDSの症状を発症している患者や陽性なのに発症していない患者 (?)が沢山いるとい う事実に直面しても、破綻した定説にしがみつくのを止めないのです。別の映画で、Peter Duesbergが、"There is no such thing as a slow virus only slow virologists." と言ったと引用がありましたが、なるほどなと思います。私自身、医学やウイルス研究で最高の栄誉を得たふたりをアホと呼ぶのははばかれるのですが、 Peter Duesbergがアホと言っているのだから、気後れせずアホと呼ぶことにします。
最後に、ノーベル賞などの世俗的栄誉について少し。一般的な日本人の素朴な反応は、ノーベル賞をもらった人は偉いという考えでしょう。しかし、すべての賞 がそうであるようにノーベル賞も宣伝です。金を出して建物を作ってもらい、その建物に自分の名前をつけるようなものです。ノーベル平和賞が茶番であること は周知ですが、ノーベル医学賞もやばそうですね。こういう映画が、茶番を白日に晒してくれることは喜ばしいことです。
最後の最後に最初に書いたことを繰り返します。このノンフィクション映画はアカデミー賞のような最高の栄誉を受けて然るべき映画です。それなのにノミネー トすらされていません。ハリウッドは、Erin Brokovich や The Insider などの映画に賞を与えることによって、自分たちが社会正義を擁護しているというイメージを植えつけたいと考えているのかも知れません。Michael Moore の「ブッシュさん恥を知れ」スピーチによって、政府にも歯向かえるという印象を与えることにも成功しました。しかし、線をはっきり引いているようです。 911 の公式説に異議をとなえるような映画は除外されますし、この映画も同様です。Brett Leung 監督はこの映画を様々な映画祭で上映したくさんの賞を勝ちとっていますが、製薬会社から映画館に圧力がかかることがあるとポドキャストインタビューで語っ ています(確か、Gary Null のインタビュー)。ロンドンでの上映では、この映画が扱っているドグマと反ドグマ側の両方の識者を集めて討論会を開こうとしたところ、ドグマ側が誰も手を 挙げなかったそうです。そりゃそうでしょう。まともに議論すれば、ドグマ側は負けてしまい、世界はひっくり返りますから。だから、誹謗中傷か無視を決め込 む作戦で時間を稼いでいるのでしょう。この映画をハリウッドが認めたくないもうひとつの理由は、多くの俳優たちが、AIDS患者を救おうキャンペーンに加 担し、製薬会社の片棒を担いでしまったという過去があるからです。製薬会社に金をもらって広告塔になった人達もいたはずです。日本の有名人には アメリカに大幅に遅れて今頃になってアフリカのAIDSを救え運動をやってる人がいるようですが、嘆かわしいことです。
まだ、30歳になったばかりの監督のBrett Leung さんは物静かな思慮深い人で、この映画がここまで政治的な反響を呼ぶものになるとは想像しなかったようです。ニューヨーク・タイムズの批評家が攻撃してく るなどとは夢にも思わなかったでしょう。私も最近まで、HIVがAIDSを引き起こす、と無邪気に信じていましたから、映画を作り始めた頃の監督の理解と 同じです。しかし、真実を知ってしまった今となっては、後に引き下がるわけにはいきません。私も、公式説は嘘だよ、と周りに広める以外ありません。そし て、この映画を攻撃するニューヨーク・タイムズは屑新聞と見限るしかありません。ニューヨークに住んでいたときには毎日読んでいたので愛着があり残念では ありますが。
追記
Karri Stokely のビデオあるよと紹介しましたが、今日聴きに行ったら、彼女が他界したことを知りました。死ぬ前にラジオ局のインタビューに応じた音声が聞けます。それに よると彼女がエイズ診断されたのは、最初の妊娠の時に手術に失敗があってその後薬漬けが続き、CD4値を計ったら基準以下と判明したからということです。 律儀に11年間医者に言われるまま薬を飲み続けた結果、体がめちゃめちゃになり、一旦薬をやめることによって回復しましたが、今回直腸の手術の必要が生 じ、医者はエイズ薬を飲まないと手術を拒否、医者と押し問答をやっているうちに病状が悪化して死に至ったようです。Brett Leungさんのカナダなら、CD4値が200でエイズ診断されるということはないらしいので、カナダの医者にかかればよかったのかもしれません。恐ろし いのは彼女が表に出て運動していることに対して脅威を感じたドグマ側の医者がブログで醜い言辞を書き散らしていたということです。医者というのは患者の健 康を望む人ばかりではないということです。自分が信じる定説が脅かされると、脅かす人の死を望む医者が出てくるというなんともおぞましい話です。
0 件のコメント:
コメントを投稿